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言葉への無力感が大きい

 なにか改善する方法はないかと、メンタル関連の言葉で検索して、記事を見る。

 しかし、その多く、思い込みやら、考え方に関する記述ばかりであった。

「自ら変わろうとしないからダメなのだ」

 そういうこと書いてある。が、今より良くなろうと変わろうとしている――それでも、変わらないという事実が、ある。

 もう、いい加減してほしい!!! と、やり場のない怒りがわく。

 言葉でいろいろ云ったって、ダメなんだ!

 考え方や行動を変えようとしたって、ダメなんだ!!

 それでもなお、言葉で、あれこれ云われることには、もううんざりだ。

 自分でどうこうしようと、もがき続けて、それでいて、ダメだったら、さらにもがけというばかり。ダメだったら、もがきが足りないというばかり。
 意味がない!!
 ハッキリ言ってほしい、死ぬしかない、と。
 そして、だからこそ、安楽死施設を用意してほしい。
 治せる人間と、治せない人間がいるのだから。




      *

 ……怒りが起きてしまった。

 人と話しても、あまりにも、あまりにも! 無益であって、すさまじく徒労感を感じている。
 ヒントを得ようと、ネットで人の意見を読むも、――またしても! 自分には意味のないこと、効果のないことばかりで、……疲れた。

 改善方法を探す行為で、もう、気が滅入り、疲れてしまう。

 人の言葉は、もう、聞きたくはない。……意味を感じないからだ。

 なんだか、とうとう、「言葉を話す」、というだけで、人が信じられなくなってしまったような……気がする。

 他人は助けらない、あるいは、助けようとはしない。
 それは別に良かった。生かす方向での助ける、ならば。
 その意味で助けないのならば、その逆、楽に死ぬ方法は用意してほしかった。

 イライラを書き出し、吐き出すことで、多少は気が楽になっただろうか。――分からない。

 まだ、いつまで、生きていなくてはならないのだろうか……?

 生きたくても生きてけない人もいるだろう。

 安楽死施設が完成すれば、自殺者の臓器をドナー提供できる。
 そういう臓器でも、欲しい人は、もらえればいいな、思う。

 死ぬのが怖いのかもしれない。
 その恐怖心で、無理に生かされる、操り人形に、今はなっている。

 いつまで、そうしなければ、ならない?

 自分から生きようとすれば、もっと楽に生きれるだろう。そんな気がして、なんとか、元気に生きようとした。でも、ダメだった。

「あきらめるのが、はやいんだ! 何度でも、何度でも、挑戦するんだ!」

 そういう問題じゃない。
 そうするだけの気力そのものから、失われているんだ。

 努力しないからダメだ、とか、その話、的外れだ。
 ちがう、努力をするためには、それ以前に気力が、精神的エネルギーがいることを、なぜ分からない……!!

……ああ……、 もう、そこから説明しなくてはならない、それが……、もう……、嫌気が差して……、うんざり……です……。人の無理解に苦しまされる、というのが、それです。

 話はもう、ダメだ。
 そうじゃない。自分の、この、脳だ。体だ。
 このどこかが、悪い。設計ミスが、どこかにある。
 それを、物理的になおさないと、ダメなんだ!

 そういう話になるまでにも、相手の理解が追いつかない。……自分自身に脳改造の専門技術があるわけでもないし、その習得も、無理。

 結果、苦しみこらえて、時が過ぎるのを耐える日々だ。
 つらすぎる……

 もっとつらくなれば、ようやく、首吊りが実行できるまでの思いになるだろうか。

 病院で、なんとか、なるのだろうか……。

 はぁ…………と、おもい、ため息、出る。

 読者がいて、これを読んだとしても、何か助ける方法をお持ちな方というのは、現代にはいないのだろうな…… 脳改造を含めた精神改造技術を持っている人が、いるとは思えない。
 かといって、心理療法や催眠療法などの思い込みや暗示では、効果がない。
 感覚器官から情報を送ったり、当人に繰り返し行動をさせたり、という方法では、ダメだ。効果がない。

……

 耐え忍ぶ、か……

 無理ならば、死ぬだけ、だ。

 ……治せたらば……

by latbatbow | 2016-11-17 17:32