やがて

 死に近づいてしまう頃には、文章を書きたくなります。弱音も吐きたくなります。

 最近ここしばらく、これまでの生涯を振り返っては、懐かしみ切なくなること、多くなりました。
 わずか数年前に見聞きした音楽やゲームを見聞きしても、懐かしさに似た哀しみのために、涙を流してしまうほどです。

 心身は……寿命が近いような、そんな気がします。元気が欲しいです。元気の出る薬や治療法があれば幸いです。
 様々な体調不良をかかえます。一番には、精神的に、生きようとする力が枯渇してしまったのが、大本の原因なのだと思っています。
 吐き気がしやすいです。視力は0.03くらいしかなく、その上、メガネをかけると吐き気・具合が悪くなってしまうため、大抵、よく目の見えない状態で過ごさなくてはなりません。
 頭痛・腹痛・心身両面での疲労困憊感は度々です。
 ここしばらく高麗人参のサプリを飲み続けています。初め効果があったような気がしたので、続けていますが、今は効果が乏しく感じます。しかし、他に治す当てがないので、仕方ありません。

 自殺が脳裏を過ること、幾度で、数えきれません。人々が、30歳、50歳、80歳と、生きておられる人は生きていること、それだけで凄いと思いました。

 新しい身体が欲しいです。健康な身体。機械の身体。

 なぜ、人生を生きること、生き抜くことを、頑張れないのだろう。
 生きがいが無いために辛いのかもしれません。生きがい、生きがい……。
 あるいは、友人が全くいないことは、関係するでしょうか。友人が存在することが、生きることのプラスになるのだと、自分には想像できません。人との関わりは、疲れることばかり記憶に残り、陰鬱です。人とのつながりが幸せだということを聞く度、分からなくなります。

 自分の判断力・行動力・思考力、あらゆる脳の機能が、衰退していること、薄っすら自覚します。

 誰か、或は、「何か」に、助けを求めるように、文を書いたり、心で祈ったり、です。それに気付き、自らの力で現状を切り開かなければと思いたつも、もはや自分の力は尽きていることを自覚させられるばかりでした。あとは、無意味であったとしても、救いを願い、祈り続けるだけです。最期の時を迎えるまで。

 どちらにしろ、いずれは誰でも寿命が尽きるものです。早いか遅いかの違いと思うことにします。
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# by latbatbow | 2016-07-25 00:00

終わりに向かいたい

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 人体改造技術、あるいは精神改造技術が実現した世界だったらば、と願って止まなかった。

 終わりにしたい、何度も苦しむのは。疲れてしまった。
 もう苦しませるのは、止めていただきたいと、何度も何度も祈るが、相変わらず、苦痛を与えなさる。それが、もう、嫌であった。

 また強く願う、苦痛を与えるのは止めていただきたい、と。やめて、欲しい。
 それが無理ならば、気づかぬうちに、消していただきたい。
 もう、やめて、ほしい。

 楽にさせてほしい。
 疲れました。
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# by latbatbow | 2016-06-21 00:01

気にせず

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気にしないように努めよう。
身体の具合を、気にしないよう、努めることにした。
自己催眠や瞑想を、効果が現れるまで、繰り返し行う。自然治癒力と免疫、身体の抵抗力を増進させる。

生きている間は、悩み苦しまず、楽しく生きたい。
野山を歩き、心地よい空気に触れ、吸い、景色を眺めたい。
温泉(というより湯治)にも行きたい。
登山、キャンプなども、出来るようになれば、いずれやってみたい。

気にしない 気にしない
意識は 自分の体内ではなく もっと広く 自然界や宇宙へ向ける
自然や宇宙と 一体になっている という感覚  それを大事にする
自らの生き死にを 自然に 天に 任せる
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# by latbatbow | 2016-06-17 00:00

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 苦痛をため込んでいたかもしれない。この場所に吐き出し続ける ことで、精神が回復する可能性を、かすかに信じる。

   *

 人生に疲れた……。楽になりたい。消えたい。安楽死をお願いしたい。

 人には、生きるのに向かない、難しい人も、いると考える。
 困難に立ち向かえる人間ばかりではない。それに、困難とか、そういう次元ではない。
『困難の有無に関わらず、生きる気力が生まれつき乏しい』。
 精神が弱いというレベルでもない。もっと根本的な、魂とでも云うような、根源的存在からして、何かが違うと感じる。気の持ちようで、どうにかなる訳ではなかった。

   *

 自殺を考える人の気持ちが分からない、と云う人間がいた。それを見て、自分もまた、分からないままでいたかった、と思った。

   *

 絵を描いて載せることにした。文章よりも、絵の方が、伝わるものがあるかもしれない。――伝えてどうするのか、は、分からない。
 助けて、と求めているのかもしれない。が、それは並の人間にはもう、不可能なことだと思った。神……のような、常識を覆すような力を持っている存在でなければ。現代科学では……どうしようもなさを感じている。

 死を前提をせず、生きることを前提として、どうすれば自分が改善・改良、直せるか。それには、精神改造技術が要る。脳改造に近いものだと思う。ところが、今の現代科学では、そこまで到達していない。あと2,30年要るが、それまで自分が耐えていける気がしない。

   *

 自分の苦しんでいる理由は……、人生に疲弊してしまったから。人生に疲弊した理由は…………。とくにキッカケがある訳でもない。それ以上の具体的理由がある訳でもない。
 大きな困難が目の前にある、とか、そういうことはない。自分は環境に恵まれていると、思っている。恵まれなかったのは、心と肉体、心身だけだと思っている。
 そしてその心――、生きるエネルギーが枯渇した状態が、恐らく生まれながらの性質であったことが、致命的だったのだろう、と考える。もちろん、心・精神がズタボロならば、身体もまた、病弱・虚弱という傾向にある。
 現在は腹が鈍痛に痛む。ここ数週間続いている。病院には行かない。病院に対しては強い不安・恐怖・不信を感じてしまっている。のみならず、採血だけで、ショック症状が起きてしまうため、検査も難しい。そのあたりは、2020年代に現れると思われる、検査および治療用ナノボットの登場を期待する。

   *

 苦痛から逃れるために、自殺を考える。そのため、もちろん、「苦しまないこと」が重要視される。そこで、首吊りか、凍死か、飛び降りか、を考えるに至る。首吊りは、ドアノブでも可能だと知る。

 6月1日だったか、長らく未公開だった小説を手直しして、サイトの方へ載せた。それで一区切りついた感じがした。あとは死んでもよいのでは、と。もう腹から違和感が続いていた。

 母に、自殺を考えていることを話した。自殺後にショックを受けてしまうのではないかと、気がかりだった。私は涙を流す。母も涙ながらに、嫌だと云った。
 そこで、まだ生きようと考えた。話して良かったと思った。死ぬのは嫌だという反応、哀しんでくださったこと、嬉しかった。が、もし「死にたいなら死ねば良い」と云ってくれても、それはそれで、未練なく終わりにできて、ありがたいことでもあった。

 母と父が亡くなるまで生きていようかと思ったけれど、どうもそこまで耐えていけるか分からない。
 しばらく、前向きに努めた。料理を趣味にしようとしたり、努めて運動したり、出掛けたり、気分を転換させようとした。食欲もあった。が、やや多めに食べただけで不調が起き、気分が落ち込みがちだった。

 腹の不調は神経性のものだろうと見当付けた。普通ならば痛みとして認識しないものも、痛みとして感じる。その上、慢性的な気分な落ち込みからか、小さな痛みでも、大きな苦痛として感じてしまう。疲れてしまった。

   *

 最近、よく祈っている。
 楽にさせて下さい。もう苦痛を感じさせるのは、止めてください。元気にさせて下さい。自分の存在を消してください。

 人の生き死には、権利にして欲しい。生きることも、死ぬことも、認めて欲しい。そして、痛みなく殺すという理想的な自殺、その補助を、合法的に行えるような施設が欲しい。
 しかし、けれども、親しい人が哀しむのは避けられない。仕方ないことかもしれない。

 死を避けて生きられるには……、「痛み」や「恐怖・不安」を含めた『苦しさ』を、一切感じなくする、という治療・人体改造が出来れば、生きてゆけるかもしれない。そういうことが必要な人間も要る。
 ただ肝心な、「生きる気力」は枯渇したままだ……。自殺という答えに行きつく方が楽だと思う。
 感覚神経を無効化できないものだろうか。視覚・聴覚含めた感覚器官ごと、失ってしまうが……、今よりマシになるかもしれないし、恐怖と不安が大きくなる逆効果かもしれない。
 分からない。

 適度な食事、適度な睡眠、適度な運動に努めているが、……まだ健全な精神を手に入れられない。思考がネガティブだからダメだと思い、悪い考えは振り払うようにし、努めて、頭の中は明るくするようにした。または余計なことを考えず、呼吸に集中する瞑想を意識した。
 けれども、この文章に現れるように、長らくネガティブなことを閉じ込めておくことで、何だか、不味いことにもなっている気がして、ここへ吐き出した。吐き出すことで、マシになるのではないかと思い。

   *

 存在を消して下さい、と祈る他ない。

 初めに自殺という考えが過ったのは、もう10年以上前のこと。あのときは困難が過ぎ去ったことで解決された。それから何だかんだで10年ほど生きた。だが、自らの「生きる気力の希薄さ」は、変わらない。変わらなかった。それで、ああ、生来の自分の性質なんだと、思った。
 その長年の性質が、あるとき突然に変わるかもしれない。かもしれないが、もう、長い。長くて、辛い。疲れてしまった。この間にも、生きる気力は、少しずつ擦り減っている。長くはもたない。

 自分はずっと、精神の弱い人間だと思っていました。が、もし仮に、生きるエネルギーが枯渇した状態で生まれ、にもかからわず今まで何とかかんとか生き延びてきたことを考えると、本来は精神の強い人間で生まれてきたのかもしれないとも考えました。しかし、いかに精神だけが強くとも、そのさらに根源となる生きるためのエネルギーがなければ、弱体化を重ねるだけだと思い知らされます。
 そしてそれが、生きることの難しい人間である、と。

 と、すると、私が欲しがったのは、生きるエネルギーだったのかもしれない。しかし、それを手に入れる方法や、果ては吸収する方法は、皆目見当がつかない。
 自分の場合、肉体や精神または、もっと根源的な魂か何かが、設計ミスであったのではと、そう思い至ります。魂ということにまでなりますと、現代科学は全然、そこまで追いついていないため、修復や改造なども不可能だと思います。
 そのため、自殺の補助や施設などを合法化してくださればな、と願います。そうすれば、プロによる補助で、苦しまずに死ねる。また、死後まもない新鮮な臓器提供も可能となる。

 どうか、生き辛い人間全てに、生きることを無理強いするのは、止めていただきたい。
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# by latbatbow | 2016-06-16 00:03

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# by latbatbow | 2016-06-16 00:02

楽に、なりたい

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# by latbatbow | 2016-06-16 00:00