2016年 11月 17日
言葉への無力感が大きい
なにか改善する方法はないかと、メンタル関連の言葉で検索して、記事を見る。
しかし、その多く、思い込みやら、考え方に関する記述ばかりであった。
「自ら変わろうとしないからダメなのだ」
そういうこと書いてある。が、今より良くなろうと変わろうとしている――それでも、変わらないという事実が、ある。
もう、いい加減してほしい!!! と、やり場のない怒りがわく。
言葉でいろいろ云ったって、ダメなんだ!
考え方や行動を変えようとしたって、ダメなんだ!!
それでもなお、言葉で、あれこれ云われることには、もううんざりだ。
自分でどうこうしようと、もがき続けて、それでいて、ダメだったら、さらにもがけというばかり。ダメだったら、もがきが足りないというばかり。
意味がない!!
ハッキリ言ってほしい、死ぬしかない、と。
そして、だからこそ、安楽死施設を用意してほしい。
治せる人間と、治せない人間がいるのだから。
*
……怒りが起きてしまった。
人と話しても、あまりにも、あまりにも! 無益であって、すさまじく徒労感を感じている。
ヒントを得ようと、ネットで人の意見を読むも、――またしても! 自分には意味のないこと、効果のないことばかりで、……疲れた。
改善方法を探す行為で、もう、気が滅入り、疲れてしまう。
人の言葉は、もう、聞きたくはない。……意味を感じないからだ。
なんだか、とうとう、「言葉を話す」、というだけで、人が信じられなくなってしまったような……気がする。
他人は助けらない、あるいは、助けようとはしない。
それは別に良かった。生かす方向での助ける、ならば。
その意味で助けないのならば、その逆、楽に死ぬ方法は用意してほしかった。
イライラを書き出し、吐き出すことで、多少は気が楽になっただろうか。――分からない。
まだ、いつまで、生きていなくてはならないのだろうか……?
生きたくても生きてけない人もいるだろう。
安楽死施設が完成すれば、自殺者の臓器をドナー提供できる。
そういう臓器でも、欲しい人は、もらえればいいな、思う。
死ぬのが怖いのかもしれない。
その恐怖心で、無理に生かされる、操り人形に、今はなっている。
いつまで、そうしなければ、ならない?
自分から生きようとすれば、もっと楽に生きれるだろう。そんな気がして、なんとか、元気に生きようとした。でも、ダメだった。
「あきらめるのが、はやいんだ! 何度でも、何度でも、挑戦するんだ!」
そういう問題じゃない。
そうするだけの気力そのものから、失われているんだ。
努力しないからダメだ、とか、その話、的外れだ。
ちがう、努力をするためには、それ以前に気力が、精神的エネルギーがいることを、なぜ分からない……!!
……ああ……、 もう、そこから説明しなくてはならない、それが……、もう……、嫌気が差して……、うんざり……です……。人の無理解に苦しまされる、というのが、それです。
話はもう、ダメだ。
そうじゃない。自分の、この、脳だ。体だ。
このどこかが、悪い。設計ミスが、どこかにある。
それを、物理的になおさないと、ダメなんだ!
そういう話になるまでにも、相手の理解が追いつかない。……自分自身に脳改造の専門技術があるわけでもないし、その習得も、無理。
結果、苦しみこらえて、時が過ぎるのを耐える日々だ。
つらすぎる……
もっとつらくなれば、ようやく、首吊りが実行できるまでの思いになるだろうか。
病院で、なんとか、なるのだろうか……。
はぁ…………と、おもい、ため息、出る。
読者がいて、これを読んだとしても、何か助ける方法をお持ちな方というのは、現代にはいないのだろうな…… 脳改造を含めた精神改造技術を持っている人が、いるとは思えない。
かといって、心理療法や催眠療法などの思い込みや暗示では、効果がない。
感覚器官から情報を送ったり、当人に繰り返し行動をさせたり、という方法では、ダメだ。効果がない。
……
耐え忍ぶ、か……
無理ならば、死ぬだけ、だ。
……治せたらば……
by latbatbow
| 2016-11-17 17:32